春の宵


遠くから
さざ波のように
浸りくる
浅い眠り

なかに
しのび入る

漂い 揺れながら
小さな岩を越え
暗い水面が
閉じると
昨日の苦痛も
明日の慰めも
忘れてゆく
幸福な
奇跡である



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「信」について



それは、ずっしりと実った
葡萄の房をのせた
手の感触
濃密な果汁が
手から心臓へ伝わり
渇いた血管を充たす

それは、赤い薔薇が
赤く咲こうとする
燃える意思
人から人へ伝わり
希望のリフレインとなる

それは、無傷の
一枚の布を
黄色に染めて
空高く掲げられ
風をはらんで翻る
その頂きに人々の視線は
集まるだろう

けれども、それを
わたしは見上げることができない
一枚の布の影に
この世界の吹き荒れる
数知れない現実が
包まれてしまうのを拒むのだ
わたしの不信が見つめる
ねじれた視界のなかで
それは、永遠に遠い




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林檎


春分の日が
訪れようとしていた
寒い朝
母は
往った

あなたが
買っておいた
箱いっぱいの
林檎が いま
部屋の暗がりで
匂っています

母よ
残りの時間は
あなたにも
だれにも
分からなかった


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二十歳の頃



言葉は 海藻のように
繁茂していて
なまあたたかい
波にうちあげられては
ぼくらの 傷ついた
(それは自明の若さのせいだろう)
ブイを揺すっていた

風が吹き荒れると
ブイは激しく抵抗した
ぼくらは おなじ視線の鉾先で
世界を否定しようとしていて
不安はいっぱいだったが
孤立は怖くなかった

世界の終わりと始まりは
いかなる姿であらわれるのか
工場の高い煙突から吐きだされる
煙りに閉じ込められた
痛ましい空に ぼくらは
純白の翼を求めていたのだ

ぼくらは それぞれ海を渡り
親のない子のように
はるかな国の
露店の天幕が並ぶ裏通りを
万年雪の山をのぞむ秘境の地を
彷徨う幻をひたすら追った

胸をかきむしる
熱情も 焦燥も
無慈悲な時の波に
抗うすべもなく
流されてしまったが

深い記憶の海には
日に晒されたブイが
いつまでも浮かんでいる


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泉のヴィジョン



土の中で水の音がする
静寂の山間でのことではない
通りをひっきりなしに
車が走り去る

コートを着た人たちが
足早に通り過ぎる
空は青く 高く
冷たい風は 羽毛の
ぬくもりを剥いでゆく

通りを歩いていると
ふいにあらわれてくる
土への 水への
いわれのない渇望

この埃っぽい灰褐色の地に
わたしが 踏みとどまれるのは
どこからともなくあらわれ
わたしの歩みを止める
この渇望のため

それは あちらこちらから
あふれては
足元の石を 枯草を
浸してゆく

わたしの いのちの
始まりの日に
ひそかに受け継いだ
渇望 それは汲めども尽きない
透きとおった泉の翳

その水の上に
愛も
寂しさも
変幻する月のように浮かんでいる



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プロフィール

Iwahori Junko

Author:Iwahori Junko
日々、考えたり感じたりしたことを綴ります。
詩集「水の感触」(2013年)
詩集「水の旋律」(2015年)

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